日本の農家が抱える問題
■貿易戦争と農家の悲鳴

※農林業センサスより
輸入野菜が激増しています。
輸入野菜の最大の特徴は、価格が安いということ。
そのため国内の野菜の値段は1999年頃から軒並み暴落しました。
東京都中央卸売市場の統計から、1998年と2000年の価格を見ると、
輸入ネギ 165円→106円
国産ネギ 348円→215円
まで下がりました。
このため日本政府は2001年4月23日、
ネギと生しいたけ、い草について、セーフガードを暫定発動しました。
200日を限度に関税率を引き上げたり、輸入数量の制限ができる輸入制限措置です。
輸入の影響で、農家の収入はファーストフードのアルバイトより安い賃金になったといわれます。
地方産野菜は、気候を利用して出荷時期をずらすことで、
国内産野菜のなかですみ分けしてきました。
ところが、通年出荷される輸入野菜の急増で、こうした地域の特性が発揮しづらくなってしまい、
「採算が合わず、出荷するほど損をする」と訴える農家もあります。
JA管内のネギ生産農家は現在約240戸。
平均62歳で、後継者はほとんどいないそうです。
新規就農者が出てこなければ、
20年後にはもう産地は消滅してしまいます。
価格の低迷がそれに拍車をかけています。
現にオクラについては、タイ産の流入によって
日本一のオクラ生産県高知県の南国市周辺のオクラ農家がほぼ全滅し、
廃業や転作を余儀なくされたそうです。
■セーフガード暫定発動の背景
総合的に見てみると、暫定セーフガードの効果はあまりありませんでした。
確かに短期的には、生産者を保護しますが、その効果は極小。
それは、 セーフガードの暫定発動期間が
3品目の本格的出荷時期いわゆる旬の時期ではなかったからです。
それに、中長期的な解決には、農業の構造改革が必要なのですが、
200日という期間では、それを行うのは不可能だからです。
3品目の輸入量が年間で最も少ない時期に暫定処置を定め、
国内消費者にも、中国側にも配慮したというのが日本の本音。
生産農家やJA関係者が口をそろえたように言った話があるそうです。
前代未聞のセーフガード暫定発動にこぎつけたのは、
自民党農林族の議員たちが、選挙対策で強力に発動要請に動いたからだ、とのこと。
■中国の報復措置
たまらないのは中国側。
『中国青年報』という新聞は、「絶望の豊作」として
当時の現地の惨状を報じました。
日本以外に販売先のないネギがあり余り、
輸入をストップした日本に対して怒りを向けました。(日中ネギ等農産物セーフガード事件)
山東省の野菜産地の一帯は、かつて旧日本軍が
たくさんの中国人を殺した場所でもあるそうです。
(当時は便衣兵という卑怯な中国人民も多かったため、殺された理由は分かりません)
しかし「東洋鬼」で統一した日本人に対する憎しみ教育が農村にまでも及んでいるかどうかは分かりませんが、
ビジネスを絡めた言いがかり的な反日感情の高まりが懸念されました。
中国は「こん包用木箱の検疫強化」や
「日本製自動車の輸入割当枠削減」といった措置をとりました。
その後、日本製の「自動車」、「携帯・自動車電話」、「空調機」の3品目に
100%の特別関税を課す措置に踏み切りました。
2000年の日本の「中国向け輸出実績」は計672億円で、中国向け輸出総額の2.1%にあたるといいます。
ネギ等3品目につき日本が暫定発動した内容と比べると、
現行税率を適用する割当数量分を勘案しても、極端に法外な措置だとは言い切れないようにみえます。
中国側は、
日本が「不公正で偏見がある貿易制限措置を採ったことが、
中国の関連業界や企業、生産者の利益を大きく損ね」ていると主張しました。
これに対して、日本側は、
「このような措置は、WTO協定から見ても、日中貿易協定から見ても、正当化し得ないものである」
との談話を経済産業大臣が発表しました。
一般セーフガードの場合、輸出国側は補償措置や対抗措置を求めることができます。
中国が課した特別関税は、この対抗措置に見えなくもありません。
しかしながら、対抗措置の発動にあたっては、補償措置をめぐる協議を行うなど
一定の手順を踏む必要があるため、すぐには発動できません。
日本政府が主張するように、中国の報復措置は、WTO協定から見て正当化し得ないものでした。
もっとも、中国が報復措置を発動する恐れは、早くから指摘されていました。
韓国が2000年6月に国内生産者を保護するため、
輸入が急増していた中国産のニンニクに高関税を賦課すると、
中国は韓国製携帯電話とポリエチレンの輸入を禁止する報復措置を発動。
いわゆる「ニンニク戦争」が勃発しました。
両国で協議した結果、翌7月に韓国が低関税で一定量のニンニクを輸入することで決まり、
この紛争は早期に沈静化したものの、セーフガードの発動をめぐる問題が浮き彫りになりました。
日本も2001年11月8日に200日の暫定発動の期限が切れ、
本発動は回避されました。
国内の生産農家からは本発動を求める悲鳴が依然続いています。
しかし、この日中ネギ等農産物セーフガード事件で、
やみくもに発動することもできない危機感が感じられました。
■野菜のユニクロ化 ~国内産地を見限った専門商社~
バブル経済が終わり、高いものが売れなくなって
スーパーマーケットが価格破壊を掲げて安売りに走りました。
商社やスーパー資本、食品会社は、労賃の安い途上国や
大規模生産でコストの安いアメリカにでかけ、輸入を始めました。
そのときとられたのが、「開発輸入」と呼ばれる手法です。
相手国に品種を持ち込み、技術指導を行いながら生産者と契約栽培すると同時に、
現地に輸送・加工の施設を整え、日本に運ぶまでが一連になるシステムのことです。
厚生労働省による『海外情報報告』によると
1999年に製造業で働く労働者の一ヶ月の平均給与は、
日本が 282,117円(ボーナス含まない)であるのに対し、
中国は 8,937円 にすぎず、なんと30分の1以下なのです。
野菜全体の推移を見ると、
プラザ合意で円高が決まった1985年から冷凍野菜の輸入が増加し、
記録的な不作となった1988年から生鮮野菜の輸入が増加しています。
農協は1980年代後半から、大量出荷を武器にするため、大規模な中央卸売り市場に出荷先を絞るようになりました。
産地からは一定量以上の量がないと受け付けません。
ゆえに産地は必死。スーパーに青果物を供給する専門商社からの声も冷たい態度。
しかし農協が出荷先を絞った結果、産地からの供給が不安定になった地方の中央卸売市場が、
不足分を手当するために輸入野菜を扱うようになったのです。
また、スーパーや外食産業が、
一年を通じて、毎日決まった時間に、決まった量を、安い価格で供給することを求めました。
国内産地の頑なな態度、
また取引先であるスーパーや外食産業のニーズに応えるため、業者は開発輸入を始めました。
「安定した野菜の供給を求めるなら、
海外に出ざるをえなかったのです。」
参考文献
三井物産戦略研究所/
三井物産戦略研究所/



