#16 コメ再考F 国の舵取りは正しいのか
■専門家の意見

大規模化を進めていくのは容易ではありません。

競争力を生み出すためには、大規模化や効率化が必要だ
と、政府は言います。

しかし、家ごとにコメ作りを続けてきた農家にとって、
集落営農は、これまでの暮らしを根底から変えてしまうものでした。

一方、日本の農地の40%以上は、
山あいの不便な土地を切り開いて作られてきました。
そうした土地でひたむきに、コメ作りに取り組んできました。

しかし今、国の政策からこぼれ落ち、
農業を続けていけるのか、ぎりぎりの局面に立たされています。


大規模化に舵を切った日本の農業政策と農家の現状を
専門家はどう捉えるのでしょうか。

【大規模化賛成派】大規模化をさらに進める政策が必要。一部農家の撤退は、やむを得ない。

食の安定供給、輸入の安定供給を本気で考える時代に来ている。

コメは主食から野菜化、野菜のひとつというかたちに、消費のパターンは変わりつつある。
野菜のひとつとしてコメを考えたとき、"いかに効率化していくか""消費者にいかに売り込むか"が大事なので、コメは作りさえすれば売れるという時代ではなくなってきているという認識が必要。

大規模化の過程で、一部の農家がコメ作りから撤退することは、やむを得ない。
マーケットメカニズムという意味ではほかの産業がそうであるように
コメ以外の野菜、果樹の農家と同様に価格競争の中、市場メカニズムのなかでの調整が必要。

撤退があれば、その後に別のビジネスが起きるかもしれない。
コメを撤退した農家が別のものを作るかもしれない。他産業にいくかもしれない。

まさにコメ問題は"調整"という言葉で語るべき話です。



(東京大学 本間正義教授)


【大規模化反対派】大規模化を進めれば、環境や文化を守る農業の多面的効果も失われる。

"ただ大規模化"
これは、工業的発想を農業に当てはめただけ。
農業が持っているきわめて多面的な文化、幅の広く、深さを持った農業文化さえ、私たちは失っていってしまう。

農業こそ、代々親から子へ、子から孫へ引き継いでいくことで、
その場に「生活」と「食」二つの"しょく"、職業と食糧を作っていくのが農村・村の大きな意味なのです。

主食を他国に依存して、その国が安泰である例は、歴史上無い。他国にいつまで依存できますか。
現に今、穀物価格の急騰が起こって、多くの国が直撃されて困っている。
しかも貧しい人ほど困っている。

農業を守るというのは公的費用。そのことは、ヨーロッパ・北欧はきちんと位置づけている。
農業を守り育てていく、そこに人々を集め後継者を生み出す、ということを
社会的意味として、きちんと取り上げている。


単に食糧を供給しているだけではない。農業の社会的意味を見直すべき。

(評論家 内橋克人氏)

こうした指摘に対して、国は
現場の混乱は把握している、
しかし大規模化を実現して、効率的な経営をしなければ、
後継者不足で農業を続けることが難しい現状は変わらない。


としています。

しかし、大規模化を進めることで、本当に日本の自給率は向上するのでしょうか。

(2008.3.13)


引用
NHK「ライスショック」