#06 戦後日本の自給率を下げた犯人は
■知らなかった給食の成り立ち戦後の数十年で、日本人の食は大いに西洋化しました。
お米、野菜、魚中心の食事から、
お肉、小麦、油もの中心の食事へ…。
その結果、畜産物と油脂類の消費は2倍に広がり、
自給率の大幅な低下につながりました。
最近の給食のことは詳しくは分かりませんが、
私(1980年生まれ)が小・中学生の頃の給食は、
| ●ご飯又はパン(頻度は半々くらい)、たま〜にうどん ●おかず2皿 ●牛乳 |
でした。
驚いたのは、私の相方(1973年生まれ)の時代は、
主食が毎日コッペパンだったというのです。
えーっ!?
7年でそんなに違うんか。
ご飯の日は、月に一度しかなかったそうです。
しかもたいがい「カレー」だったよう。
でも、みんな「ご飯」が出て嬉しがっていたそうです。
私の母(1958生まれ)の時代はもちろんパン。
そして忌まわしい「脱脂粉乳」を飲んでいた時代です。
脱脂粉乳はアメリカの「余剰農産物」。
売れ残りの在庫品だということですね。
湿気を帯び、家畜の餌になっていたものを、
戦後の日本の食糧難の時代から、
昭和40年くらいまで日本の学校給食で使っていました
アメリカの農業は、

大型機械を使って広大な圃場に
ドバッと農薬と肥料を撒いて作ることが多く、
機械導入により小麦の生産量が飛躍的に伸びました。
戦争中、又は戦後にも
その生産力は各国への食糧支援で大きな役割を果たしましたが
各国が自立してくると、「余剰農産物」が生じ悩みの種になりました。
敗戦後、日本はこの在庫品をありがたく受け入れます。
食糧難の日本にとって、これは「救い」でもありました。
しかし、
「食料が占領目的のため必要だ」
と言ったマッカーサーの占領政策の一環でもあったのです。
■余剰農作物処理法
「余剰農作物処理法」が成立してすぐに、
日本で「学校給食法」が成立しました。
露骨過ぎて尊敬しますね、ホント。
『完全給食とは、給食内容が
パン又は米飯(これらに準ずる小麦粉食品、米加工食品その他の食品を含む。)、
ミルク及びおかずである給食をいう。』
として、米より小麦に重点を置いたことが分かります。
その後は栄養指導の一環で
日本国内でパンや麺類といった「小麦粉」の宣伝活動が行われました。
もちろん、長いものに巻かれたい日本政府も「減反政策」を進めて
さらに「麦転換政策」で国産小麦作を放棄させました。
米よりパンが好き。
パンの味に慣れてしまった日本人が増え、
一民族の「主食」が代わってしまいました。
(こちらで学校給食の変遷が見られます。→千葉県学校給食会)
お母さん、
家畜の餌で育ったことをどう思うかな?
ただ、それは戦後食糧難の名残として万歩譲って許せるとしても
アメリカさんがその在庫処理で得たカネを積み立て、
「日本の経済復興資金」を謳って
在日米軍の住宅建設に充てたことをどう思うかな?
海外からの食料輸入が途絶えたとき、
日本の首根っこを握っているアメリカさんが
何を日本に要求してくるだろう。
(2007.9.8)

